“Don’t Know Where” インタビュー 3

part 2からの続き

― ロック好きのケイゴさんですが、大学ではジャズを専攻(NYの音大The New School for Jazz and Contemporary Music)されてますよね。当時はジャズの勉強をしつつロックも聴いていた?

K-Go 最初の1~2年はそうでした。でも、残念ながら…94年くらいかな、ブラジリアン・ミュージックやジャズにはまって、ロックを聴くのを止めてしまいました。ブラジリアン音楽で特に影響を受けたのはギタリスト/シンガーのトニーニョ・オルタという人です。

当時トニーニョが丁度ニューヨークでレコーディング中で、大ファンなんですと伝えたら、今オフなので遊びにおいでと誘ってもらって一緒にセッションしたこともあります。彼のコードの押さえ方も直接教えてもらいました。彼のアルバム(「Foot On The Road(1995)」)にコーラス隊としてゲスト参加させてもらったこともあるんですよ。これが、僕の名前が初めてクレジットされたアルバムです。後で、そのアルバムに矢野顕子さんやオマー・ハキムといったミュージシャンがゲスト参加していたことを知って驚きました!

Honeydewの音楽にも、トニーニョの影響は反映されてますよ。”Little Rusty Lemon”や”満月”なんて特に。ブラジリアンのリズムで演っていないというだけです。Honeydewの曲のリズムを変えて、アコースティック・ギターで演奏すればトニーニョっぽくなるんじゃないかな。

ただ、トニーニョのアルバムにゲスト参加した時に、日本人がブラジル音楽を演ってはだめなんじゃないかなって思いもして…。

― だめ? それはどういうことですか?

K-Go いや、日本人がブラジリアンミュージックをやる事に無理を感じるわけでも、否定する訳でもないんですよ。僕は作詞作曲をしたかったので、ポルトガル語が解らないのに英語や日本語で歌詞を付けるのも嫌だったし、”ブラジリアン風”っていうのも嫌だったんです。

― ケイゴさんがロックに戻ってきたきっかけは何だったのでしょう?

K-Go 96年くらいかな。Corneliusを聴いた時にこれは凄いと思って。影響されて、自分でも打ちこみを配した音楽をやったり試行錯誤していた時期がありました。

でも、本格的にロックをやりはじめたのはもっと後。2008年に帰国してからです。ライヴでステージに上がったらマーシャルのアンプがあって。当時はJC(のアンプ)のクリーンな音が苦手だったというのもあるんですが、やっぱりマーシャル使ったら音歪ませない訳にいかないよなと(笑) My Bloody Valentineなどはずっと好きで聴き続けてましたし、自然にロックに戻っていった感じです。

― ”My Honeydew”はそのMy Bloody Valentineにも通じる、王道のオルタナティヴ、シューゲイザー系のサウンドですね。

K-Go はい!Aメロは特にそうですよね。Bメロはコマーシャルで違った感じになりますけど。

― 歌詞は、サブタイトル通り自分の身の周りの人に感謝を捧げたものですよね。

K-Go はい。ラブソングと思う人がいてもおかしくないし、様々な解釈ができる曲ですね。”My Honeydew”は、ステージに立っている時に観客を見てイメージが沸いたんです。

― ”満月”には驚きました!これは名曲です

K-Go 正直、この曲はちょっと狙って書きました。コマーシャルで、少しJ-pop的な部分もあるかな…。

― メロディはポップなんですけど、ギター・ソロが切りこんでくると雰囲気が変わって、ケイゴさんならではの拘りを感じます。

K-Go やはり(どんな音楽を演っても)ここは譲れないという一線がありますよ。例えば、作曲のオファーも色々な方から受けた事もあるんですが、自分のポリシーに反するものは断っています。たとえそれが有名なミュージシャンからのオファーであっても。今後はもっと柔軟性を身につけていこうとは思ってますが。

― 最後に…アルバム本編を締めくくる”ひかり”について。ジュンコさんのヴォーカルが美しい、タイトル通り希望を感じさせる日本語詩の曲ですが、これは今大変な状況にある日本のことを想った曲ですか?

K-Go はい。まさにこの曲は震災後にそれを意図して書きました。この歌詞は絶対日本語で聞いて欲しかった。基本的な歌詞は僕が書いたのですが、完成することができなくて。途中でジュンコに任せたら、ジュンコから良いフレーズがどんどん出てきたんですよ。”希望のひかり”ってフレーズ以外はほとんど彼女の作詞です。だからこの曲は二人の共作なんです。

(終わり 2011年10月某日 東京・渋谷にて)

part 1part 2